痩せたつもりで
ダイエットをやめて普通に食べてみようかな。
10日ほど前にふと思い続けてみたところ、約4.5kgするっと体重が減りました。今も続けています。
食べる時に心がけていることは、
「自分はもう痩せた」と妄想し、「せっかく痩せたしリバウンドしないようにちょっとだけ気をつけて食べよう」と自分に言い聞かせること。
たとえば、ダイエットに成功して20㎏痩せたとします。もう厳しい食事制限の必要はないけれど、リバウンド防止のため食事に気をつけると思います。飲んだ後のラーメンをやめるとか、甘いものを控えるとか、腹八分目にするとか。「これ以上太りたくない」「 食事に気をつける」という部分はダイエット中と同じですが、前向きな自主規制というか、心の余裕を感じます。悲壮感はあまり感じません。「もう痩せたから、これ以上太らないようにするわ」くらいの余裕を持って、ゆるく自主規制を続けたら痩せないかな?
ふとそう思いました。
で、やってみることにしたのです。
やってみて一番嬉しかったのは、食べものから解放されたこと。これは予想外の大きなよろこびでした。くるくるくるくると頭の周りで花と蝶々が舞っているような幸せを感じています(漫画っぽく)。ダイエット中は、四六時中食べもののことを考えていて、食べちゃいけないものはなんだっけ、何を食べればいいんだっけ、、そんなことばかり気にしていました。ダイエットなんだからそれが当然と思っていましたが、やめてみてそれがかなり負担だったのだと気づきました。歳をとればとるほど、何かから解放されることが少なくなるので、貴重な贈り物をもらった気分です。
「何を食べてもいい、ちょっとだけ気をつければ。」
そう思うと、あれ食べたいー!これもーっ!!のようなムラムラした危険な欲がなくなり、「いつでも食べられるから大丈夫」、と心に余裕をもって自分をなだめることができるようです。
引き続きやってみます。
ストレスの二重奏〜
先日の全仏オープン後、錦織選手の記事をネットでつらつらと検索していて偶然目にしたこの写真。
脚の筋肉、凄いです。
どのくらい頑張ったらこんな風に脚に筋肉がつくんでしょうね。
盛り上がった筋肉の中には、途方もない日々の鍛錬が詰まっているんだろうなぁと思いました。
かたや私の脚は、長年の不摂生がたたり、まるで丸太ん棒。見るたびに盛大なため息がでます。
・・・な〜んて書きましたが、そもそも太って当たり前の食事を毎日続けていて、太らないわけがない。しらじらしく、「自分にため息」って・・・ポエムかっ!
・・・と、いつもなら、自分を痛めつける→自分を鼓舞する→さらに厳しいダイエットを決意する、というお決まりの流れですが、それをやめてみます。
そんなことをしても何も変わらなかったので。
相変わらず太ったままだし。
痛めつける代わりに、
「仕方なかったんだよ。ばくばく食べて手っ取り早くストレスを解消しないと、潰れそうだったんだよね」
と、お尻がムズムズしない程度に自己肯定してみました。
過去に遡って自己肯定をはじめると、過食してむくむく太りはじめたこと以外に、日々の生活の中で、 美しいものをみたり、笑ったり、旅行したりと、楽しいことや良いこともそれなりにあったことを思い出しました。太っていた、というくくりでみてしまうと過去の中でそれしか目に入らなくなり、他の出来事の存在をぺろっと忘れていました。
それってもったいない。
せっかく生き残ってきたのに。
それからもうひとつ。
ストレスによるやけ食いで太ったとしたら、そのストレスがなくなった後も体にはそのストレスの残骸がべっとり張り付いていることになる。やけ食いすればするほどストレスは増幅し、覆いかぶさってくる。不幸の連鎖。
食べることでストレスは発散されない。
逆にストレスから逃れられなくなる。
じゃどうする。
・・・まじめに考えてみた金曜日の朝でした。
※ユニクロの回し者ではありません。
生き残るために
このまま死んでも仕方ないな。。。
と、毎晩夜更け過ぎに布団に倒れこむ生活はまっぴらだと心底思いました。
そこらに生えている雑草のような人生ですが、深夜にパソコンのモニターに見送られながら人生を終えるのは嫌だ。
面倒を見なければならない家族がいるし。
ずっしり背負っているものもあるし。
まだまだしぶとく生きねばならないのです。
ヒーラー
母の入院の知らせを聞いた翌朝、スーツケースに着替えとパソコン、本を詰め込み、急いで東京駅へ向かいました。新幹線を降りた後、在来線の待ち時間ももどかしく、タクシーで入院先の病院へ向かいました。
母の入院先は、そのむかし母と父が勤務していた小さな病院。小学生の頃から私はそこへ何度も通っているので、顔見知りの病院関係者も多くいらっしゃいます。
ホールでエレベーターを待っていたところ、当時からずっとその病院で働いているB先生とばったり会いました。
私が相当深刻な顔をしていたんだと思います。
「入院しないとお母さんは○○ちゃんに会えないから、○○ちゃんに会いたくて、今回入院したんだ、くらいに考えてね、治していけばいいよ(○○は私の名前)。」
そう先生はおっしゃいました。
その瞬間、気持ちがふっと緩みました。そして先生の心遣いをとても暖かく感じました。
実は私はこの先生が近頃ずっと苦手でした。
「結婚したの?お子さんは?」はまだいいほう。「ずいぶん貫禄が出てきたねー」「太った?」と、最近ころころに太った私をズケズケ系の物言いでチクリと刺激するのです。
刺された腹いせに「この先生、腕はいいのか?良い先生なの!?」と、八つ当たり気味に思ったこともありました。
でも、良い先生でした。
今回のことでしみじみそう感じました。
いつ治るのか。
いつ退院できるのか。
本当に治るのか。
この病院でいいのか。
押しつぶされそうなほどパンパンに膨れ上がった不安にぷしゅっと穴を開けて、ほどよい大きさにしてくれました。
ちょっと大げさですが、ヒーラーってこういう人のことかなと思いました。
何もなくて幸せ
昨日までのささやかな日常が、一瞬にして失われてしまったことが過去に何度もありました。
家族が病気で亡くなったとき。
家族が交通事故で重症をおったとき。
家族が手術のため長期入院をしたとき。
震災で実家が大規模半壊と認定されたとき、などなど。
書いてしまうといずれも一行にも満たない文章で終わってしまいますが、日常が失われた日々はずっしりと重く、今思い出しても息苦しくなります。
今日もまた日常がカチッと切り替わってしまう出来事がありました。
母が突然入院することになってしまったのです。
昨夜電話で話したばかりでした。
庭の牡丹の花が今年もきれいに咲いているよ、今編んでいるカーディガンを来月の編み物教室の展示までに完成できそうだよ、今日は魚と煮物で晩御飯を食べたよ。いつものように5分ほど話しました。
今朝もちょっと気になることがあって話しました。
その電話の直後のことでした。
母は今回の入院を乗り越えられるだろうか。
不安でいっぱいの夜です。
日常が変わるといえば、ずっと前にかかりつけの病院の先生から言われた言葉を思い出します。「深刻な病気になる前に治したほうがいいね。病気になって入院したりすると仕事もできなくなってしまうし、生活が一変してしまうことがあるからね。若いうちに、病気になる前に考えたほうがいい」脂肪肝で肝臓の数値がかなり悪かったのです。いつもは気さくでにこやかな先生ですが、あの時は深刻な表情で、今でも印象に残っています。
学ばない女だな。私。。。