子どもは産んでいませんが。

結婚後20年、子なし、今後も子なし決定。子どもを産まなかった自分を憎まずに生きるのは難しいと思う今日この頃。

『巨食症の開けない夜明け』という本がありました

ミッションインポッシブルにしようか、ダークナイトにしようか。

ミッションインポッシブルにしよう。

ぽちっと再生ボタンを押してサラダを食べ始めた。

あ、お昼に肝臓のクスリ飲むの忘れた

 

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これ、いまから食べます

もちろん一人で。全部。

2日分ではなく1回分です

 

東京にはこんなにたくさん人がいるのに

誰にも助けてもらえないんだな

 

まともに生きていくために この病気を治す方法を

教えてほしいと願っているだけなのに

 

もう病院へは何か所も行った

いつも、過食症はなかなか治らないんですよね

といわれるだけ

 

過食へにげ込まなくても、過食に救われなくてもいい方法を教えてほしいだけ

ちゃんと治療したい

治療してくれるところを知りたい

それだけ

過食は病気だから

 

タイトルを書いてふと気付いたけれど、『巨食症の開けない夜明け』の巨食は、拒食ではなく、巨食=過食の意味だと思う。

 

元気で働いているうちが一番良かった

2時間以上前に薬を飲んだのに眠れず、布団の中で悶々とするのも飽きてきたので、布団の中でよいしょっと腹ばいになってこれを書いている。

 

先日、吉祥寺のアトレで待ち合わせをしていたのだが、約束の時間よりもだいぶ前に着いてしまい、時間を潰そうにもあらかた見るものも見終わり、カフェに入る気分にもなれず、ちょっぴり途方にくれたまま、入り口付近の椅子に座ってぼんやり待つことにした。

 

ツムツムをやりたかったけど、むっつりしたおばさんが画面を凝視しながら指をしゃらしゃら動かしている姿はかなり恥ずかしいだろうと思いあきらめ、ニュースサイトを眺めたり、Kindkeで本を読んだりしていると、「あらぁ、元気?」と頭の向こうから声が聞こえてきた。私に声をかけたわけじゃないだろうと確信はあったが、万が一のこともあるので顔を上げたところ、私の隣に座っていたおばあさんにその女性は声をかけたのだった。

 

流れてくる会話から察するに、ふたりは元職場の同僚らしい。ひとしきり共通の知人らしき名前が出ては盛り上がり、互いの体調について現状を報告しあい、また会いましょうよと幾度も約束をして、声をかけた女性が立ち去ろうとしていた。そしてこう言った。

「元気で働いている時が一番幸せだったわねー」

 

だれの頭の中にも、良くも悪くも刺さった言葉をリピートしようと待ちかまえる自動リピート機能があると思うけれど、その日のその言葉は、リピート機能により繰り返し頭の中で鳴り響いた。

 

元気で働いている時が一番幸せだったわねー

元気で働いている時が一番幸せだったわねー

元気で働いている時が一番幸せだったわねー

 

しばらく頭から消えそうにない。

 

 

 

 

 

今年のやりたいことリスト

紅白歌合戦、観られた方も多いと思いますが、印象に残った点が2つ。広瀬すずの顔のあまりの小ささ。そしてユーミンのエンターテイナーぶり。私の中では紅組勝利でした。白組のけん玉も見応えがありましたけど。

 

じっくり紅白を観ながら年を越すという初めての体験が刺激的だったのか、今年のやりたいことリストを真面目に考えてみました。結果、夢のない超現実なものなってしまった。

 

  1. 英検1級取得

だらだらとスマホを見ている時間、結構多いんです。必要ならいいんですが、だらスマに時間を盗まれて手元に何も残っていないと感じることが最近多くなり、どうせなら目に見える形で何か成果を手にしたいと思うに至りました。なぜ英検かは、未経験のTOEICよりも過去に2度失敗した英検と勝負したいから。

 

2. 外食を減らす

どのくらい食費を節約できるのか試してみたい。

 

3. ダイエットをやめる

ダイエットをやめたら痩せましたが、欲をかいてもっと痩せようとダイエットをはじめたらじわじわ体重が増えはじめてしまいました。再びダイエットをやめてみて、痩せるかどうか再確認したい。

 

とはいえ、日常生活のプライオリティは仕事。仕事が苦しくなったらリストは中断して調整しようと思います。いや、逆に仕事が苦しい時こそリストを継続して日々のリズムをくずさないほうがいいのか。

うん、そのほうがいいような気がする。

 

 

 

 

 

 

太る順番

あくまでも私の場合ですが、太る順番を見つけました。

1. 体重計に乗るのをやめる(現実逃避)

自堕落な生活の結果を見るのが嫌で、現実逃避し始める

 

2. 鏡を見なくなる(自己嫌悪)

体のラインをすっぽり覆う服を適当に着て、化粧はファンデーションを塗って眉を描いて終わり(最低限しか鏡を見ない)

 

3. セルフケアに興味がなくなる(自己否定)

どうせ太っちゃったし何をしても無駄、と肌や髪、爪のお手入れに気を使わなくなる

 

3までくると、恐ろしい勢いで太ります。さらに、自己否定し始めると太るだけではなく、自分の存在そのものを心もとなく感じるようになり、将来まで不安になってしまうようです。私の場合。

 

日常を自分でコントロールしている感がなくなると、弱いところへ影響が出るような気がします。喜怒哀楽と食欲が直結しやすい私は太りやすくなり、お酒や浪費などのクセがあればそちらへ流れやすいのかもしれません。

年末年始気をつけなければ…。

 

 

 

伝書鳩

仕事しているし、これくらいいいよね。

ではなく、仕事してるから、これはやめておこう。

命を削って働いているから。

毎朝きっちり起きて、満員電車にもみくちゃにされ朝から絶望を味わい、仕事してる家に帰ってくる。伝書鳩みたいだ。

届ける手紙はそれぞれ違っても行って帰る毎日。囚われていると感じる。

満員電車の窓から見える自由とすれ違いながら、私は目的地へ行く。

自由をぽろぽろこぼしながら伝書鳩は今日も手紙を届ける

 

あの自由と引き換えに今お財布に入っている数枚のお札。部屋を見渡すと、あちこちにうっすら埃をかぶったままの雑貨や本がごちゃごちゃいろいろ。

そして思う。

 

働いたからこれくらいいいよねはまったく逆で、働いたからこれくらいがまんできるよね、がわたしにはしっくりくる。

あんなに犠牲を払って得たんだもの、大事にしたい。将来のためとか節約とか抜きにして、毎日味わう伝書鳩の世捨て感の対価としてこれを得るのはふさわしいのか、そう考えながらお金を使おうと最近思うようになった。

年をとって守りにはいったのか。

 

日曜日の23:30過ぎに。

まだお休みの中に浸っていたい、でも明日からの1週間に備えて寝なきゃ、でもこの悶々とした気持ちを抱えて寝たくない、そんなぐちゃぐちゃな気持ちをベッドに引きずりがちな日曜の夜、とても良い言葉に再び出会いました。

 

勇気を出す

「いつも同じことの繰り返しだなあ」と落ち込む場合、

小さくても、何かを変えないと、また同じことになります。

「何かひとこと、口に出す」

「〇〇をしない」

「〇〇」をする

それらをやってみる勇気を、あなたは体の中に持っています。

一度、小さくできたら、

それは泣きたいほど、最大の自信になります。

次は中くらいにできるようになり、

しまいにはずっと昔からそうしていたように、できるようになります。

大和書房 / 青木美詠子著『大人になっても、悩んだりしてもいいですか』

 

青木さんのこの著作、とくに「4. 悩みを小さくするヒント」がおススメです。

 

そろそろ日が変わり新たな一週間が始まりますね。

健康で無事に過ごせますように。

不幸に襲われて明日が人生最後の1日になることがありませんように。

無事に家に帰ってこれるだけで十分幸せです。

ほどほどに頑張りましょう。あんまり年末とか年始とか意識せずに普通に淡々と時間を過ごしたいです。

カレンダーとクリスマスケーキ

もっていない。

それを喉元に突きつけられる季節が、またやってきました。

大人にも子供にも平等に。

 

  • イルミネーションで飾られた街を共に歩く人がいない
  • 年々派手になるクリスマスケーキを囲んで食べる人がいない
  • クリスマスのご馳走を作ってくれる両親または親がいない。または食べてくれる子供がいない。
  • 仕事の契約が解除された、または解雇された
  • 送りたいプレゼントはあるけど交換する同僚または友達がいない
  • ねっとりするお相手もいなければ、ぱーっと飲み明かす友達もいない

 

これでも十分突きつけられる状況だと思いますが、さらにちくっとのどに刺さる状況は、「去年はいたのに、今年はいない」という状況。彼氏、彼女、奥さん、夫、子供、両親などなど関わりのあった大切な人がことしはいなくてひとりぼっちという状況。一年間もみくちゃになりながら必死で働き、大なり小なりの不条理を経験しながらやり過ごして迎えた年末にこの結末。つらいですね。

 

こんなこと書いていてなんですけど、私は夫も遠くに住む母も兄弟もその子供たちもいるので、喉元に突きつけられるものは、そんなにないはずなんです。はたからみれば、贅沢言うな!まだ一人じゃないだろ!!と思われる状況かもしれません。

 

でも、紙一重なんです。

だって、状況なんていつだって突然変わりますから。永遠に変わらないものなんてないんです。現に私は仕事は首の皮1つでつながっている状態ですから。

 

前述とは逆の、イルミネーションの下をキラキラ輝きながら歩いているひとたち、パーティーでケーキを囲む人たち、家族に囲まれてご馳走を楽しむ人たちも、案外孤独や不安を飲み込んだまま過ごしているかもしれません。

 

話は変わりますが、ランチの時間帯にスタバでコーヒーを飲んでいると、ベビーカーに小さな赤ちゃんを乗せた若いお母さんが一休みしている姿を見かけることがあります。そのお母さんの横顔を見ると、余計なお世話ですけどなんとなく寂しそうなんですね。「この子を産む前はバリバリ働いていたのに、、、」とか、「同僚とランチしたのなんてもう随分昔のことだなぁ、、、」なんて思い出しながらため息をそっとついたりしているのでしょうか。

 

そんな時、一応こっちはスーツを着てパソコンをカタカタ叩いてる身ですが、そっちもこっちもそんなに大きな差はないですよ、と声をかけたくなります。深夜の電話会議、終わりの見えない仕事、職場の人間関係、年老いたおばさんが職場で生き残る道などなど、いいことばかりじゃないんです。解雇されたらスタバでコーヒーなんて贅沢もできなくなりますから。元気出してください。あなたはあなたの子を育てるという、あなたにしかできないプロジェクトに取り組んでいるわけですから、焦らずじっくり取り組んでいいんですよ、こっち側へ戻るのは案外簡単ですから。そうおせっかいながら伝えたくなります。

 

話が脱線しましたが、この時期、ないものベースで考え始めるとすぐどん底へ落ちます。なんといっても世の中、不条理ですから。ついつい浮かれた街を眺めていると、私にはあれもないこれもないと一年の総括と相まって考えがちですが、とりあえず私は大きな喜びも悲しみも痛みもなく、ごく普通に新たな365日を迎えられそうだなと、来年のカレンダーを目の前にしながら、数週間後にクリスマスケーキを食べていると思います。

一見ある人もないと思っている人も紙一重ですから、心安らかに過ごしましょうと言うことを伝えたかったのです。