ぽってりライフ

出雲の先生から処方された漢方を飲みながらダイエットしています。糖尿病教育入院で痩せましたが、痩せた以上に相当リバウンドしました。食生活を変えながら痩せて維持できることを目指しています。

たぶん落ちた

こりずにまた転職活動をしています。

あこがれだった会社からまさかの書類選考通過の連絡がきて舞い上がり、その勢いで一次面接通過、そして先日最終面接をしてきました。

 

これまでの数々の経験から考えると、今回は落ちたんだろうなと、思っています。信じたくないですが多分落ちました。

 

気晴らしにこれまでミラクルが起きた面接をリストアップしてみます。この言葉が面接中に出てきたらほぼ100%採用されました(自分比)。

 

1. 「今日時間ありますか?」

手応えを感じながら面接に臨んでいると、その日に会う予定はなかったけれど採用されたら同じチームになる人、などを面接官が呼んできて想定外の面接(面談)が展開されることがありました。

 

2. 「社内見てみますか?」

面接がほぼ終わりに近づいた時、この言葉が面接官から出てきて、部署の場所やチームのメンバーをざっくり紹介されました。面接後会社を出て駅に向かっているとエージェントから電話がかかってきて採用決定を告げられました。

 

3.  「ちょっと待っててください」

面接がほぼ終わった段階で面接官から待つように言われ部屋で待機していると他の面接官が面接にやってきて面接。またさらに待つように言われ、別の面接官がやってきてさらに面接、結局4人と面接してその場で採用が決まったことがありました。一次面接とエージェントから聞いていましたが、この人いいかも!という最初の面接官の判断で、その日に四次面接まで終えてしまったのでした。最後の面接官は私の中でラスボス登場といった感じでした。

懐かしいです。

 

こんな嬉しいミラクルを経験させてもらったので、不幸な結末も覚悟しなきゃねと今回は自分をなだめています。面接がうまくいっただけに今回はなおさら残念です。

めげるな、自分!

がんばれ、自分!!

 

 

かなしいこと

痩せてから、自分を飾って少し楽しめるようになりました。アクセサリーを身につけたり、ネイルサロンに再び通いはじめたり、ワンピースを買ってみたり。楽しいです。誤解を招く表現かもしれませんが、女の人が何気なくしていることをようやく楽しめるようになりました。

 

でも、きれいにしてもらったピカピカの爪を見るたびに思うのです。アイカラーやマスカラでおしゃれした顔を見るたびに切なくなるのです。

 

もっと若い時に痩せればよかった。

 

どんなに爪がきれいになっても、手のシワが気になります。

3万円のファンデーションでも、毛穴落ちやたるみは隠せません。

 

若かったら、化粧なんかしなくても美しいです。

逆に、化粧をしても美しいです。

年をとると、美という点において限界があるとわたしは感じてしまいます。もともと、こうあるべきという観念に私はとらわれがちなので、なおさらそう思ってしまうのかもしれません。

何をしてもおばさんはおばさんだよ。

着飾ってうふふとよろこぶ鏡の中のおばさんを冷めた目で見る自分がいます。

 

まあそれでも、おばさんでも、いいです。

仕方ないですよ。

それはそれ。

おしゃれを楽しんで何が悪い。

所詮、人生は自己満足ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイエットをやめてみた

ダイエットをやめて数ヶ月経ちました。

ようやく65kgが目前に。

私にとって65kgは夢の数値でした。60kg台になるなんて、どうやっても無理。泣きながら思ったこともありました。

 

70kg台を目指してダイエットをすると80kg超え、80kgを目指すと90kg超えに、そして90kgを目指していたところ、四捨五入すると100kgに到達するまで体は膨れ上がり、心底恐ろしくなりました。

ダイエットして太るならダイエットなんかやめてやる!そう開き直ってダイエットをやめることにしました。すると90kg台からもう少しで65kgまで体重が減りました。

 

65kgってまだまだ太っちょです。

でも案外楽しいもんです。洋服は3L以上でしたが、今はMや38でも着れるようになりました。洋服の選択肢が増えただけで、外出も楽になりました。

 

とはいえ、誰と比べるかによって、自分が痩せて見えたり、まだまだ太って見えたりと心は忙しいですが、そんなこと、どうでもいいです。人と比べること自体無意味だとわかりました。ダイエットにおいて人と比べる限り、決して自分に満足することはないからです。なぜなら自分より痩せている人は星の数ほどいるから。ここでいい、これでいいを他人基準で決めると永遠に終わりがありません。

もっと痩せたい、もっともっと、とストイックになると拒食症になります。若い頃の私がそうでした。

 

今は人と比べずに、今の自分をいたわり、自分を楽しむようにしています。英語のスキルアップを目指してSkypeで英会話のレッスンをしたり、ネイルサロンに通ったり、念願の表参道の美容室に行ってカッコいい髪型にしてもらったり。

 

表参道といえば。

私にとってはいつまでも近寄りがたい街でした。学校があったので渋々通っていましたが、授業が終わったら一刻も早く立ち去りたい街というイメージです。太っている自分が歩いていたら街のイメージを壊すんじゃないか、本気でそう思っていました。

人は変われるもんですね。

 

 

 

ハッピーってなんなのよ

最近また仕事が忙しくなり、帰りは連日終電ギリギリまたは終電を逃してタクシーで帰宅、という生活が続いています。

雪がしんしんと降り積もる中で、せっせと雪かきをしているような気分です。やってもやっても地面が見えず一向に雪がなくならない。

 

でも、前職と違ってまわりが良い人たちなんです。社内に愚痴を言える味方もほんのちょっぴりいて、状況を改善しようと採用活動をはじめてくれた上司もいて、私の雪かき作業ができるだけ楽になるようにと気遣ってくれる環境なのでまだいいほうだと思っています。

 

ただ、やっぱり体力的にきついことに変わりはありません。家に帰ってきて布団に入ってもまだ頭の中でPCが起動している状態で、スリープモードに切り替わらない。ようやくウトウトするのは朝の4時ごろで、数時間後には出勤。

 

家族からは勤務中に何度もラインで「大丈夫?頑張りすぎないで」のメッセージ。

家に帰れば「過労死レベルの勤務時間だよ。。」と何度も言われる始末。

 

先日、寝る直前に「やりたいことは全部やってきたし、見たいものは全部見てきたし、幸せな人生だった。このまま仕事で死んでも悔いなし」とふと思ったんです。前職も同じような状況で、仕事で死ぬなんて冗談じゃない、と思ったのですが、今回はそれとは真逆。

 

一応夫にも伝えておこうと

私:「万が一仕事で死んでも私全然後悔しないと思うから。大丈夫だからね」

夫: 「それ本気で言ってんの?大丈夫ってなに?本気でそう思ってんの?」

私:「うん。本気。死んだとしてもやることは全部やった。いい人生だったって受け入れられるから。心配しないで」

夫:「心配しないわけないじゃん。俺が逆の立場でそう言ったら、どうすんの?俺になんて言うの、そう聞かされたら?」

私: 「そんなに仕事しないでって言う。でも私の場合は。。。」

 

という感じで落としどころのない会話が永遠に続きそうな気配で、夜も遅く疲れていたわたしは会話の途中で寝てしまいました。

 

死にたいわけじゃない。

死んだら楽になると思っているわけでもない。

逃げたいわけでもない。

 

よくよく考えると、自分勝手だなと思います。

もしかしたらそれがわたしの本質なのかな。

人からは、優しくて、相手の立場を思ってくれる人、責任感が強いなどなど言われてきましたが、究極的には自分が良ければそれでよし、というわがままな性格なのかな。

わたしが死んだら母も兄も甥&姪、もちろん夫も深く悲しむだろうし、立ち直れないかもしれない。

それなのに、仕事で死んでも後悔しないなんて、よく言えたもんだ。

 

前置きが長くなりましたが、ここでタイトルの話しになります。

同じ話しを、ヨーロッパ出身の同僚に話したところ

  • 仕事の犠牲になっても良いなんて決して考えるな
  • それは心の中はもう死んでると同じこと
  • ハッピーになること、ハッピーであること、それが生きているってことだろ
  • たとえ今幸せじゃなくても、少なくとも俺はいつか幸せな日が来ると信じて出来る限りの努力をしている(彼の家庭環境はかなり複雑)
  • 今、ハッピーだと感じてる?

のようなことを言われました。

彼のキーワードはハッピー。

ハッピーじゃなければ生きている意味はないだろうと。

 

いやいやいや。

ハッピーじゃなくても人は生きていけるし、生きなきゃいけないわけで。

 

そんなにハッピーハッピーいうなら聞くけど、じゃぁハッピーってなんなの?    

わたしには、申し訳ないけれど陳腐な言葉にしか聞こえませんでした。

ハッピーであることは生きる目的とか色々言ってましたが、なんだかピンときませんでした。

 

昔の人は、大義名分や、自分や国の名誉を守るために死ぬことなんて普通でしたよね。それは日本に限らず世界のあちこちでも。ハッピーじゃないなら半分死んでると同じことだ、なんてぬるいことを言える環境じゃなかったような気がするんです。そんな大昔のことを引き合いに出しても仕方ないですけど。

 

楽しむために生きるという彼。

与えられたことを成し遂げるために生きる。その結果として死んだとしても仕方がないという私。

わたしは生まれる時代を間違えたか。

 

 

また今度、彼とハッピーについてぜひ話しをしたいです。

ハッピーじゃなくても生きなきゃいけないと思うわけです。命が続く限り。

 

 

 

 

 

 

お店で服を買う

先日ふらふらと吉祥寺を散策していて、かわいいバッグを見つけたので思い切ってお店に入ってみました。そのお店はもう何年も気になっていたのです。バッグ、靴、アクセサリー、洋服などセレクトショップ風に並んでいます。特に洋服は、憧れの眼差しでいつも眺めていました。憧れというのは、到底着れるとは思えない普通サイズの服だからです。

 

バッグも気になりましたが、私がおおーっ!と思ったのはダークブルーのカットソー。襟のカットが上品でかわいらしい雰囲気。これいいわ〜と思ってじっとり眺めていたら店員さんから試着を勧められました。

 

この体型の私に試着を勧めてくれるなんていい人だなぁと思いつつ、どうせ着れないという恥ずかしさから、「かわいいんですけど太っているので着れないと思います」、と言ったところ信じられない言葉が。「そんなことありませんよ、ぜひご試着なさってみてください」と言って、ぜひこれと一緒に、とパンツも持ってくるというさらなる追い討ちに。試着して鏡に映る姿に愕然とし続けてきたので、憂鬱な気持ちで試着室へ向かいました。

 

結果、なんと着れたんです。

うそー!!!と、自分の姿にびっくり。

これ着れるの私?!

嬉しさと驚きでしばらく鏡の中の自分をじーっと見てしまいました。

 

結局、カットソーだけ購入してその日は帰りました。お財布は軽くなっちゃったけど、気持ちもふわっと軽くなりました。20kg痩せるとやっぱり違うんだなぁと実感した日でした。

 

 

 

 

 

 

過ぎてみればあっという間

詳しいいきさつは別の機会に書きますが、ダイエットをやめたらあっという間に痩せました。前にも書いたような気がしますが、完全に開き直ったんです。ダイエットするたびにリバウンドして太るなら、ダイエットなんかやめたっ!心の底からそう思いました。

 

四六時中ダイエット情報をネットや雑誌で探しまくる→ダイエット開始→少し痩せる→リバウンド(最初に戻る)。

永遠にこのループから抜け出せず50代、60代、そして太ったまま死んでいくんだろうか。

 

そう思うと、もういいよ。

これ以上太らなければもういいよ。

もうダイエットはおしまいにしよう。

ダイエットに別れを告げました。

でもそれは、別れではなく、はじまりでした。

 

痩せ始めたのです。

ダイエットをやめたから、いつでも好きな時になんでも食べられる。そう思ったら、食べものに執着しなくなりました。あれを食べたい、これを食べたいという衝動的な欲がなくなり、いつでもたべられるからまいっか、と食べものを目の前にしても、あっさり気持ちを切り替えて、無駄に食べることがなくなりました。

 

もちろんまだまだ太っています。

でも、今年のピーク時から比べると20キロ痩せました。皮肉なもんですね。

お金をかけて本を買い、ダイエット食品を買い、痩せて太って自分に絶望して。そんなことはすっかり過去のことになりました。

開き直ったら願いが叶うなんて、そんなこともあるんですね。

 

 

 

他人の目を気にせず自分全開で生きていこう

他人はあなたのことなんて気にしていない
これは幼少の頃から刻み込まれてきた教育の刷り込みによる部分が大きいですが、私たちは他人と違うことをすることに対し、「そんなことをしたら笑われる」「変だと思われる」と周囲に教えられてきました。

 

だけど人は本来、一人ひとりが他者と違っている時点で、すでに変なのです。他者とは違うオリジナリティを持った自分を押し殺して、多数に迎合する生き方をする方が、むしろ不自然。


そしてもうひとつ、あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしてはいません。

自分の普段の生活を考えてみてください。あなたは1日の時間の大半を、他人のことを考えて過ごしていますか?

おそらくは、自分のプライベートや仕事のことが大半で、あとは家族や恋人のことではないでしょうか?

他人のことを考えてあれこれ詮索するには、”時間”と”余裕”が必要な上に、それらを他人に回そうとする”意思”が必要となります。そこまで親密な関係でもない限り、常にその人に意識を向けるということは考えられません。

実際にあなたのことを噂する人がいたとしても、その噂は一過性であることがほとんど。その一過性の他人の噂と、自分の心のどちらが大事でしょうか? 言うまでもなく後者のはず。

他人の目を気にせず、自分全開で生きていこう | DRESS [ドレス]より抜粋

 

 

あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしてはいません。

あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしてはいません。

あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしてはいません。

 

 

大事なことなので3回繰り返しました。

 

たとえば、入社後早々2週間休んだ人がいたとしたら、どのくらいその新入社員のことを考えますか?無責任だとふつふつ怒りをたぎらせ、仕事が手につかない状態の人もいるかもしれません。

または、やっぱりあの人続かないと思ったよーと、ランチのたびにみんなでワイワイガヤガヤ盛り上がるかもしれません。

もしかしたら、大丈夫かな?また仕事にこれるようになればいいのにと、心配してくれる人もいるかもしれません。

想像なので、実際のところはわかりません。

 

でも、おそらく正しいのは、『みんなそれぞれの日常で忙しいので、あなたのことばかり考えるほど暇じゃない。あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしてはいない』ではないでしょうか。

 

2週間ぶりに突然出社したら、それはそれはみんなびっくりして、おおっ!とあなたに注目するでしょう。どう思われたかな、、メンタル弱いと思われたかな、、、と気になるところでしょうけれど、3分もすれば、みんなの視線はあなたから机の上のパソコンに戻るはずです。そして、彼らの日常に戻るはず。

なにしろ、『あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしてはいない』からです。

大事なことなので5回書きました。

 

お察しの通り、登場する困ったちゃんは、そう遠くない昔の私です。