子どもは産んでいませんが。

結婚後20年、子なし、今後も子なし決定。子どもを産まなかった自分を憎まずに生きるのは難しいと思う今日この頃。

今年のやりたいことリスト

紅白歌合戦、観られた方も多いと思いますが、印象に残った点が2つ。広瀬すずの顔のあまりの小ささ。そしてユーミンのエンターテイナーぶり。私の中では紅組勝利でした。白組のけん玉も見応えがありましたけど。

 

じっくり紅白を観ながら年を越すという初めての体験が刺激的だったのか、今年のやりたいことリストを真面目に考えてみました。結果、夢のない超現実なものなってしまった。

 

  1. 英検1級取得

だらだらとスマホを見ている時間、結構多いんです。必要ならいいんですが、だらスマに時間を盗まれて手元に何も残っていないと感じることが最近多くなり、どうせなら目に見える形で何か成果を手にしたいと思うに至りました。なぜ英検かは、未経験のTOEICよりも過去に2度失敗した英検と勝負したいから。

 

2. 外食を減らす

どのくらい食費を節約できるのか試してみたい。

 

3. ダイエットをやめる

ダイエットをやめたら痩せましたが、欲をかいてもっと痩せようとダイエットをはじめたらじわじわ体重が増えはじめてしまいました。再びダイエットをやめてみて、痩せるかどうか再確認したい。

 

とはいえ、日常生活のプライオリティは仕事。仕事が苦しくなったらリストは中断して調整しようと思います。いや、逆に仕事が苦しい時こそリストを継続して日々のリズムをくずさないほうがいいのか。

うん、そのほうがいいような気がする。

 

 

 

 

 

 

太る順番

あくまでも私の場合ですが、太る順番を見つけました。

1. 体重計に乗るのをやめる(現実逃避)

自堕落な生活の結果を見るのが嫌で、現実逃避し始める

 

2. 鏡を見なくなる(自己嫌悪)

体のラインをすっぽり覆う服を適当に着て、化粧はファンデーションを塗って眉を描いて終わり(最低限しか鏡を見ない)

 

3. セルフケアに興味がなくなる(自己否定)

どうせ太っちゃったし何をしても無駄、と肌や髪、爪のお手入れに気を使わなくなる

 

3までくると、恐ろしい勢いで太ります。さらに、自己否定し始めると太るだけではなく、自分の存在そのものを心もとなく感じるようになり、将来まで不安になってしまうようです。私の場合。

 

日常を自分でコントロールしている感がなくなると、弱いところへ影響が出るような気がします。喜怒哀楽と食欲が直結しやすい私は太りやすくなり、お酒や浪費などのクセがあればそちらへ流れやすいのかもしれません。

年末年始気をつけなければ…。

 

 

 

伝書鳩

仕事しているし、これくらいいいよね。

ではなく、仕事してるから、これはやめておこう。

命を削って働いているから。

毎朝きっちり起きて、満員電車にもみくちゃにされ朝から絶望を味わい、仕事してる家に帰ってくる。伝書鳩みたいだ。

届ける手紙はそれぞれ違っても行って帰る毎日。囚われていると感じる。

満員電車の窓から見える自由とすれ違いながら、私は目的地へ行く。

自由をぽろぽろこぼしながら伝書鳩は今日も手紙を届ける

 

あの自由と引き換えに今お財布に入っている数枚のお札。部屋を見渡すと、あちこちにうっすら埃をかぶったままの雑貨や本がごちゃごちゃいろいろ。

そして思う。

 

働いたからこれくらいいいよねはまったく逆で、働いたからこれくらいがまんできるよね、がわたしにはしっくりくる。

あんなに犠牲を払って得たんだもの、大事にしたい。将来のためとか節約とか抜きにして、毎日味わう伝書鳩の世捨て感の対価としてこれを得るのはふさわしいのか、そう考えながらお金を使おうと最近思うようになった。

年をとって守りにはいったのか。

 

日曜日の23:30過ぎに。

まだお休みの中に浸っていたい、でも明日からの1週間に備えて寝なきゃ、でもこの悶々とした気持ちを抱えて寝たくない、そんなぐちゃぐちゃな気持ちをベッドに引きずりがちな日曜の夜、とても良い言葉に再び出会いました。

 

勇気を出す

「いつも同じことの繰り返しだなあ」と落ち込む場合、

小さくても、何かを変えないと、また同じことになります。

「何かひとこと、口に出す」

「〇〇をしない」

「〇〇」をする

それらをやってみる勇気を、あなたは体の中に持っています。

一度、小さくできたら、

それは泣きたいほど、最大の自信になります。

次は中くらいにできるようになり、

しまいにはずっと昔からそうしていたように、できるようになります。

大和書房 / 青木美詠子著『大人になっても、悩んだりしてもいいですか』

 

青木さんのこの著作、とくに「4. 悩みを小さくするヒント」がおススメです。

 

そろそろ日が変わり新たな一週間が始まりますね。

健康で無事に過ごせますように。

不幸に襲われて明日が人生最後の1日になることがありませんように。

無事に家に帰ってこれるだけで十分幸せです。

ほどほどに頑張りましょう。あんまり年末とか年始とか意識せずに普通に淡々と時間を過ごしたいです。

カレンダーとクリスマスケーキ

もっていない。

それを喉元に突きつけられる季節が、またやってきました。

大人にも子供にも平等に。

 

  • イルミネーションで飾られた街を共に歩く人がいない
  • 年々派手になるクリスマスケーキを囲んで食べる人がいない
  • クリスマスのご馳走を作ってくれる両親または親がいない。または食べてくれる子供がいない。
  • 仕事の契約が解除された、または解雇された
  • 送りたいプレゼントはあるけど交換する同僚または友達がいない
  • ねっとりするお相手もいなければ、ぱーっと飲み明かす友達もいない

 

これでも十分突きつけられる状況だと思いますが、さらにちくっとのどに刺さる状況は、「去年はいたのに、今年はいない」という状況。彼氏、彼女、奥さん、夫、子供、両親などなど関わりのあった大切な人がことしはいなくてひとりぼっちという状況。一年間もみくちゃになりながら必死で働き、大なり小なりの不条理を経験しながらやり過ごして迎えた年末にこの結末。つらいですね。

 

こんなこと書いていてなんですけど、私は夫も遠くに住む母も兄弟もその子供たちもいるので、喉元に突きつけられるものは、そんなにないはずなんです。はたからみれば、贅沢言うな!まだ一人じゃないだろ!!と思われる状況かもしれません。

 

でも、紙一重なんです。

だって、状況なんていつだって突然変わりますから。永遠に変わらないものなんてないんです。現に私は仕事は首の皮1つでつながっている状態ですから。

 

前述とは逆の、イルミネーションの下をキラキラ輝きながら歩いているひとたち、パーティーでケーキを囲む人たち、家族に囲まれてご馳走を楽しむ人たちも、案外孤独や不安を飲み込んだまま過ごしているかもしれません。

 

話は変わりますが、ランチの時間帯にスタバでコーヒーを飲んでいると、ベビーカーに小さな赤ちゃんを乗せた若いお母さんが一休みしている姿を見かけることがあります。そのお母さんの横顔を見ると、余計なお世話ですけどなんとなく寂しそうなんですね。「この子を産む前はバリバリ働いていたのに、、、」とか、「同僚とランチしたのなんてもう随分昔のことだなぁ、、、」なんて思い出しながらため息をそっとついたりしているのでしょうか。

 

そんな時、一応こっちはスーツを着てパソコンをカタカタ叩いてる身ですが、そっちもこっちもそんなに大きな差はないですよ、と声をかけたくなります。深夜の電話会議、終わりの見えない仕事、職場の人間関係、年老いたおばさんが職場で生き残る道などなど、いいことばかりじゃないんです。解雇されたらスタバでコーヒーなんて贅沢もできなくなりますから。元気出してください。あなたはあなたの子を育てるという、あなたにしかできないプロジェクトに取り組んでいるわけですから、焦らずじっくり取り組んでいいんですよ、こっち側へ戻るのは案外簡単ですから。そうおせっかいながら伝えたくなります。

 

話が脱線しましたが、この時期、ないものベースで考え始めるとすぐどん底へ落ちます。なんといっても世の中、不条理ですから。ついつい浮かれた街を眺めていると、私にはあれもないこれもないと一年の総括と相まって考えがちですが、とりあえず私は大きな喜びも悲しみも痛みもなく、ごく普通に新たな365日を迎えられそうだなと、来年のカレンダーを目の前にしながら、数週間後にクリスマスケーキを食べていると思います。

一見ある人もないと思っている人も紙一重ですから、心安らかに過ごしましょうと言うことを伝えたかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬ダークサイドへ落ちたときのこと

最初から嫌な予感があったわけではなかった。

むしろうまくいっていた。

親戚の集まりのため4時間の道のりを夫側の家族と共に移動すると聞いたときは、うまくやれるだろうかと心配で、ずいぶん前から不安ではあった。どうがんばっても、4時間お喋りに花を咲かせるなんてできるわけがない。からだのどこをバシバシ叩いても華なんか出てこない私。華やかさとはまったく無縁の性格。こういう時に嫁はそつなく振る舞うんだろうなと真っ暗な気持ちを引きずったまま早朝の東京駅に到着したのは事実だ。

でもその気持ちが、姪の笑顔を見た時に一瞬で消え去った。

夫の兄弟の娘が、ニコニコしながら私を見上げて手を握る。そのまま手を繋いで新幹線に乗り込む。しっとりとやわらかな命を手に感じながら、隣同士に座る。それから4時間、なんと、あっという間に時間が過ぎてしまった。何をお喋りしたかも忘れてしまったが、気負う必要もない小さな女の子とのお喋りは純粋に楽しかった。途中疲れてうとうとしたこともあったが、ほとんどの時間一緒に過ごした。

目的の駅に到着したときは心底ホッとした。少なくとも、この子のお相手をしたことで嫁の役目は果たせたと思ったからだ。

そして最初のダークサイドへの誘惑がやってきた。

「(私の名前)ちゃんは、がんばらなかったの?」

ん?

あれ?なんの話しだったっけ?

駅に到着してほっとして気が抜けていたので話の流れを見失っていた。

「xxxちゃんのお母さんは3回がんばったって。YYちゃんのお母さんは2回。(私の名前)ちゃんはがんばらなかったの?」

そうだった。この子に、子供はいないのかと聞かれて、その流れでこの話しが出てきたんだった。そっか。ほっとして話の流れを見失っていたのではなく、意識的に耳をピシャッと閉じたから聞くのをやめていたのだった。

この子は私になぜ子供がいないのか聞いているのだな。

そういうことだな。

そういうことだ。

そして私は言った。

「がんばらなかったねぇ」と。

他に何を言えばいい。相手は小さな子供だ。親がいつも話していることを単に真似して口に出しただけだ。仕方ない。この子のせいじゃない。

片足が落ちかけたけれど、この時はまだ完全には落ちなかった。

私一人がんばったところでできないんだよ、というべきだったかもしれないが、傷ついたまま性教育するほど、右の頬を殴った相手に左の頬を差し出すほど、私はお人好しじゃない。

例えが違うような気がする。ま、いいや。

 

落ちたのは「あんたもう一人産めばいいのに」と親戚のおばさんが話しているのを耳にした時。

不思議なもので、聞かなくてもいいこと、むしろ聞かない方がいい話しほど聴覚が異常に研ぎ澄まされて耳に届くことがある。その時はその瞬間だった。

 

お座敷に座って食事をしていた時、その部分だけクリアに聞こえてきた。その前後に話している内容なんて聞こえるはずがないほどおばさんは遠くに座っているのに。おばさんが話しかけているのは私の義理の姉。「あんたがもう一人産んで跡取りを作ればこの家の血は繋がるのに」家を心配して姪に思わずそう言ってしまったんだろう。自分の出自である家(姓)が途絶えるのは忍びないのだろう。その気持ちはわかる。その責任を私はずっと感じてきた。でも子はできなかった。あっという間だったが決して短くはない20年間を思い返し、そしてダークサイドにすぽっと落ちた。

20年間待ち続けたけど、結局娘の子は抱っこできないと静かにひとり諦めた私の母の気持ちがあんたにわかるのか。家系が途絶えるかどうかよりも私には重いんだよと。極端な話し、養子をもらえば解決できないこともない。でも娘の子には替えはいない。

ま、考えてももうどうしようもないことだ。母には極上の親孝行を続けよう。

そう思いなおしダークサイドから脱出した。

 

繰り返しになり申し訳ないが、私は長男の嫁で子なしだ。

多分死ぬまでその呪縛から逃れられることはないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラえもんの暗記ぱんの裏技。

ドラえもんを見た方であれば、「暗記パン」は、おそらく「どこでもドア」や「タケコプター」と並んで『あったらいいなトップ10』にランクインするひみつグッズではないでしょうか。

 

アニメでは、のび太くんは試験前にアンキパンを食べすぎてお腹を壊してしまい、食べて覚えたはずのものを全部忘れてしまった、という話だったような気がします。

 

ここから先は、お食事中の方にはちょっぴりきつい話になりますのでどうぞご注意ください。

 

暗記パンを食べすぎる→お腹をこわす→パンが体内からでる→忘れる、というプロセスが成立するなら、忘れたいものを忘れるために暗記パンをあえて食べ過ぎるという裏技もありですよね。

 

たとえば。

妻とは必ず別れるからといって逢瀬を重ねた上司から妻にバレたから別れてくれと土下座されたというお約束の出来事も、上司と不倫した、上司と不倫した、上司と不倫した、とひたすら暗記パン3斤分に書いてばくばくやけ食いする。お腹を壊したら、不倫した事実だけつるりと忘れることができるんじゃないだろうか。

 

あるいは。

あまりにも会社の中で内気すぎる自分に嫌気がさして、お前は皮をはがされた因幡の白兎か!一生そうやって会社の中でぷるぷるふるえていろ!!と自分の傷に岩塩をごりごりすり込みたくなった会社帰りの夜。暗記パンをエコバッグから取り出して、写経のように内気な自分は嫌だ、内気な自分はいらない、内気な自分よ飛んでいけーなどと書き連ねて5斤分涙を流しながらたべてトイレに駆け込み、トイレから出てきたときはお腹も心もスッキリ〜。

という使い方もありかも。

大人になると、こっちの使い方の方が需要が多いような気がしませんか?

 

忘れるといえば、先日ネイルサロンで施術中に「リメンバーミー」という映画をDVDでみました。ずっとみたかった映画で、期待通りの面白さだったのですが、途中ハッとしました。ネタバレを含みますのでまだ観ていない方はご注意ください。身近な方を最近亡くされた方もセンシティブな内容を含みますのでご注意ください。

 

映画のワンシーンで、『生者の国で忘れられ、誰の記憶からも消えてしまうと死者の国からも消滅してしまう「二度目の死」がある』という概念が語られていました。死んだ先祖は死者の国で楽しく和気藹々と暮らしているのですが、死者の日には先祖が家族に会いに行くことができるのです。ただし、生きている家族が死んだ先祖を覚えていて、祭壇にその先祖の写真を飾った場合に限り。つまり、家族から忘れられ、祭壇に写真を飾ってもらえない先祖は、死者の日に家族に会いに行けず、みんなが家族に会いにいっている間、死者の国に止まらなければならないのです。

 

ということは、子のいない私と夫は死んだ後、家族に会いに行けないの?

あ、そもそも家族は夫と私と猫だった。祭壇に写真をずっと飾り続ける家族がいない。

ここでちょっとしんみりしたわけですが、誰の記憶に残ろうと残るまいと、わたし毎日必死です。無骨でかっこ悪くていつも何かしら不安ですけど、諦めずに生きています。それだけは閻魔様に胸を張って申告できます。わたしはわたしで生きて誰の記憶にも残らずふっと死んでいく、それでいい。

そんなことを考えているうちにネイルが終わり、ツルツルの爪を何度となく眺めながら家族の待つ家に帰ったのでした。

夫と猫だけの家ですけど。