子どもは産んでいませんが。

結婚後20年、子なし、今後も子なし決定。子どもを産まなかった自分を憎まずに生きるのは難しいと思う今日この頃。

卵色のさみしさ

子どものころ卵アレルギーだっので、食べてみたいけど決して食べられないものがたくさんありました。ケーキ、カステラ、プリン、ホットケーキ...。淡い卵色の食べものに、当時は恋していました。中でも卵かけご飯は、なんとしてでも食べたい、食べられないけど、でも食べたい、といつも葛藤していました。

 

というのも、看護婦だった母が夜勤明けで家に帰ってきて食べるのが、卵かけご飯だったのです。疲れて何も買って帰る気力もなければ、作る気力もなく、唯一の選択肢だったのかもしれません。ほかほかご飯の上にぱかっと卵を割り、醤油をたらしてシャカシャカかき混ぜ、つるつるつると食べる母の姿をいつもうらやましくみていました。卵ってどんな味なんだろう。憧れを通り過ぎて、当時は卵に執着していたんだと思います。

 

そんな当時のことを、この本を読み直してふと思い出しました。

 

 

怖れや怒り、悲しみなどで心がブロックされた状態のさまざまな人が登場し、どのように心が解放されていくのかそのプロセスを説明する箇所があるのですが、執着を手放すナオミさんのエピソードが印象的でした。

 

失恋したナオミさんは一年経っても別れた彼のことが忘れられず落ち込む毎日でカウンセラーを訪ねました。それにより、落ち込みの原因は失恋で彼を失ったことだけではなく、彼がいることで自分が肯定的に受け止められていたという感覚、認められていたという感覚も失ったからだと気づきました。さらに、昔から誰かの承認を求めることに執着していたとナオミさんは思い至るのでした。

 

私が卵に、特に、卵かけご飯に執着していたのは、食べたいという欲求以上に、母が美味しそうに食べている卵かけご飯を、母と一緒に食べたい。さらには、看護婦として忙しく働く母ともっと一緒にいたいというさみしさから、卵かけごはんに執着していたのかなと本を読んで思い返しました。