子どもは産んでいませんが。

結婚後20年、子なし、今後も子なし決定。子どもを産まなかった自分を憎まずに生きるのは難しいと思う今日この頃。

16年分のなにか

2002年に忌野清志郎さんが松尾芭蕉ゆかりの土地約1,000㎞を自転車で旅したドキュメンタリー番組が、今朝NHKにて再放送されていた。清志郎さん51歳の挑戦だった。放送当時30代なりたてほやほやだった私。もしこの番組をリアルタイムで観ていたら、「自転車で1,000㎞走る!?」とまずは驚愕し、さらに「51歳になってもすごいなぁ」と敬服したと思う。

 

当時私は転職ばかり繰り返しており、数ヶ月先はいつも霧につつまれたようにおぼろげで、1年後、5年後、10年後、さらにその先のことなどあり得ない世界だった。どんな仕事をしているのか、子どもはいるのかいないのか、どんなおばさんになっているのか、もしかしたらおばあさんのようになっているのか。 

 

16年後の今、あり得ないと思っていた世界に突入しようとしている。

恐ろしい。

50代を迎えることではなく、いつのまにか16年が過ぎ去っていたということが。もちろん履歴書を見ればいつどこで何をしたのかわかるけれど、結果として何か残ったんだろうか。16年分の何かが自分の中に蓄積されたのだろうか。

 

これは例えるなら、何気なくATMからお金を引き出そうとしたら残高が100円しかなかったという感じに近い気がする。あれいつのまにこんなに使っちゃったの、と。残高不足の表示を見てはじめて恐ろしくなるといった感じ。ちょこちょこ引き落とした自覚もあるし、記帳すればいつどれだけ引き落としたのか分かる。でも一体何に使ったんだっけ。16年分の時間を私は何に使ってしまったのか。

 

虚しいタラレバだけれど、もし子どもを産んで育てていれば16歳になっていたはず。でも子はいない。仕事は続けてきたとはいえあちこち転職したせいで貴重な人脈はぶつ切れ状態。

何やってんの、自分。

何やってきたの、自分。

風を切って軽やかに前に前に進む清志郎さんを画面のこちら側で観ながら、私の心は重くずっしりと沈んでいた。

 

正直なところ、16年前から今に至るまで、なに一つ蓄積されていないよね、と自分に死刑宣告してしまいたい。お前はスカスカの薄っぺらな人間だと自分を突き落とし、海の底深く沈めてしまいたい。

(たぶんつづく)