子どもは産んでいませんが。

結婚後20年、子なし、今後も子なし決定。子どもを産まなかった自分を憎まずに生きるのは難しいと思う今日この頃。

歩く

先日青山で用事を済ませ、地下鉄の駅に向かって歩いていたところ、『日本橋まで○○km』という標識が目に入りました。へー、このまま歩き続けたら日本橋に到着するんだ。歩いてみようかな。と思いたち、歩きはじめました。日本橋ではなく東京駅まで。その方が中央線に乗るのに便利だからです。

 

天気が悪かったら歩こうなんて思わなかったと思います。頭の中がモヤっとした状態でなければさっさと電車で帰ったと思います。じっとしていられない、どこにも置き場所のない気持ちをどうにかしたい、ヘトヘトに疲れるまで歩いて頭を空っぽにしたい、そんな心の状態でした。

要は暇だったんです。

 

約7km、1.5時間の距離でした。

遠足気分であちこち見ながら、音楽を聴きつつ、もんもんと考えごとをしながら歩いていたからか、意外にすんなりと到着しました。期待していたほどへとへとに疲れることもなく、もうちょっと歩きたいなと思ったくらいです。歩く前と後で何か状況が変わったわけではありません。1.5時間歩いても抱えている問題は相変わらずずっしりとそこにあります。でも、家にこもって一日中それについて考えるよりも、外に出て風を感じたり道ばたの花を眺めたりと、一瞬でも意識が外に向かう回数が増えれば増えるほど、そしてその時間が長ければ長いほど、心の消耗から自分を守れるような気がしました。

 

それまでは、悩みについて考えないようにしようとか、気を紛らわせよう、他のことを考えよう、本を読もうなど、じっとしたまま頭の中ですべて解決しようとしましたが、いつのまにか意識が100%そこに戻ってしまうのでうまくいきません。そこから無理やり引き剥がし、本に集中しようなどと思っても、流れるプールの流れに逆らって泳ぐようなもので、大変疲れます。

 

でも歩いていると、意識は、体の動きや目や耳などの五感が感知するものと、抱えている問題に向かうものとに自然と分散されるので、頭の中では考え続けていたとしても、悩みが占領する割合はその分減ります。減った分だけ消耗しないように思います。

頭の中で何かがぐるぐるしはじめたらとりあえず歩く。何も期待せず、その気持ちを抱えたまま歩くようにします。歩くのは正直なところ嫌いだったのですが、変われば変わるもんですね。