子どもは産んでいませんが。

結婚後20年、子なし、今後も子なし決定。子どもを産まなかった自分を憎まずに生きるのは難しいと思う今日この頃。

一瞬ダークサイドへ落ちたときのこと

最初から嫌な予感があったわけではなかった。

むしろうまくいっていた。

親戚の集まりのため4時間の道のりを夫側の家族と共に移動すると聞いたときは、うまくやれるだろうかと心配で、ずいぶん前から不安ではあった。どうがんばっても、4時間お喋りに花を咲かせるなんてできるわけがない。からだのどこをバシバシ叩いても華なんか出てこない私。華やかさとはまったく無縁の性格。こういう時に嫁はそつなく振る舞うんだろうなと真っ暗な気持ちを引きずったまま早朝の東京駅に到着したのは事実だ。

でもその気持ちが、姪の笑顔を見た時に一瞬で消え去った。

夫の兄弟の娘が、ニコニコしながら私を見上げて手を握る。そのまま手を繋いで新幹線に乗り込む。しっとりとやわらかな命を手に感じながら、隣同士に座る。それから4時間、なんと、あっという間に時間が過ぎてしまった。何をお喋りしたかも忘れてしまったが、気負う必要もない小さな女の子とのお喋りは純粋に楽しかった。途中疲れてうとうとしたこともあったが、ほとんどの時間一緒に過ごした。

目的の駅に到着したときは心底ホッとした。少なくとも、この子のお相手をしたことで嫁の役目は果たせたと思ったからだ。

そして最初のダークサイドへの誘惑がやってきた。

「(私の名前)ちゃんは、がんばらなかったの?」

ん?

あれ?なんの話しだったっけ?

駅に到着してほっとして気が抜けていたので話の流れを見失っていた。

「xxxちゃんのお母さんは3回がんばったって。YYちゃんのお母さんは2回。(私の名前)ちゃんはがんばらなかったの?」

そうだった。この子に、子供はいないのかと聞かれて、その流れでこの話しが出てきたんだった。そっか。ほっとして話の流れを見失っていたのではなく、意識的に耳をピシャッと閉じたから聞くのをやめていたのだった。

この子は私になぜ子供がいないのか聞いているのだな。

そういうことだな。

そういうことだ。

そして私は言った。

「がんばらなかったねぇ」と。

他に何を言えばいい。相手は小さな子供だ。親がいつも話していることを単に真似して口に出しただけだ。仕方ない。この子のせいじゃない。

片足が落ちかけたけれど、この時はまだ完全には落ちなかった。

私一人がんばったところでできないんだよ、というべきだったかもしれないが、傷ついたまま性教育するほど、右の頬を殴った相手に左の頬を差し出すほど、私はお人好しじゃない。

例えが違うような気がする。ま、いいや。

 

落ちたのは「あんたもう一人産めばいいのに」と親戚のおばさんが話しているのを耳にした時。

不思議なもので、聞かなくてもいいこと、むしろ聞かない方がいい話しほど聴覚が異常に研ぎ澄まされて耳に届くことがある。その時はその瞬間だった。

 

お座敷に座って食事をしていた時、その部分だけクリアに聞こえてきた。その前後に話している内容なんて聞こえるはずがないほどおばさんは遠くに座っているのに。おばさんが話しかけているのは私の義理の姉。「あんたがもう一人産んで跡取りを作ればこの家の血は繋がるのに」家を心配して姪に思わずそう言ってしまったんだろう。自分の出自である家(姓)が途絶えるのは忍びないのだろう。その気持ちはわかる。その責任を私はずっと感じてきた。でも子はできなかった。あっという間だったが決して短くはない20年間を思い返し、そしてダークサイドにすぽっと落ちた。

20年間待ち続けたけど、結局娘の子は抱っこできないと静かにひとり諦めた私の母の気持ちがあんたにわかるのか。家系が途絶えるかどうかよりも私には重いんだよと。極端な話し、養子をもらえば解決できないこともない。でも娘の子には替えはいない。

ま、考えてももうどうしようもないことだ。母には極上の親孝行を続けよう。

そう思いなおしダークサイドから脱出した。

 

繰り返しになり申し訳ないが、私は長男の嫁で子なしだ。

多分死ぬまでその呪縛から逃れられることはないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラえもんの暗記ぱんの裏技。

ドラえもんを見た方であれば、「暗記パン」は、おそらく「どこでもドア」や「タケコプター」と並んで『あったらいいなトップ10』にランクインするひみつグッズではないでしょうか。

 

アニメでは、のび太くんは試験前にアンキパンを食べすぎてお腹を壊してしまい、食べて覚えたはずのものを全部忘れてしまった、という話だったような気がします。

 

ここから先は、お食事中の方にはちょっぴりきつい話になりますのでどうぞご注意ください。

 

暗記パンを食べすぎる→お腹をこわす→パンが体内からでる→忘れる、というプロセスが成立するなら、忘れたいものを忘れるために暗記パンをあえて食べ過ぎるという裏技もありですよね。

 

たとえば。

妻とは必ず別れるからといって逢瀬を重ねた上司から妻にバレたから別れてくれと土下座されたというお約束の出来事も、上司と不倫した、上司と不倫した、上司と不倫した、とひたすら暗記パン3斤分に書いてばくばくやけ食いする。お腹を壊したら、不倫した事実だけつるりと忘れることができるんじゃないだろうか。

 

あるいは。

あまりにも会社の中で内気すぎる自分に嫌気がさして、お前は皮をはがされた因幡の白兎か!一生そうやって会社の中でぷるぷるふるえていろ!!と自分の傷に岩塩をごりごりすり込みたくなった会社帰りの夜。暗記パンをエコバッグから取り出して、写経のように内気な自分は嫌だ、内気な自分はいらない、内気な自分よ飛んでいけーなどと書き連ねて5斤分涙を流しながらたべてトイレに駆け込み、トイレから出てきたときはお腹も心もスッキリ〜。

という使い方もありかも。

大人になると、こっちの使い方の方が需要が多いような気がしませんか?

 

忘れるといえば、先日ネイルサロンで施術中に「リメンバーミー」という映画をDVDでみました。ずっとみたかった映画で、期待通りの面白さだったのですが、途中ハッとしました。ネタバレを含みますのでまだ観ていない方はご注意ください。身近な方を最近亡くされた方もセンシティブな内容を含みますのでご注意ください。

 

映画のワンシーンで、『生者の国で忘れられ、誰の記憶からも消えてしまうと死者の国からも消滅してしまう「二度目の死」がある』という概念が語られていました。死んだ先祖は死者の国で楽しく和気藹々と暮らしているのですが、死者の日には先祖が家族に会いに行くことができるのです。ただし、生きている家族が死んだ先祖を覚えていて、祭壇にその先祖の写真を飾った場合に限り。つまり、家族から忘れられ、祭壇に写真を飾ってもらえない先祖は、死者の日に家族に会いに行けず、みんなが家族に会いにいっている間、死者の国に止まらなければならないのです。

 

ということは、子のいない私と夫は死んだ後、家族に会いに行けないの?

あ、そもそも家族は夫と私と猫だった。祭壇に写真をずっと飾り続ける家族がいない。

ここでちょっとしんみりしたわけですが、誰の記憶に残ろうと残るまいと、わたし毎日必死です。無骨でかっこ悪くていつも何かしら不安ですけど、諦めずに生きています。それだけは閻魔様に胸を張って申告できます。わたしはわたしで生きて誰の記憶にも残らずふっと死んでいく、それでいい。

そんなことを考えているうちにネイルが終わり、ツルツルの爪を何度となく眺めながら家族の待つ家に帰ったのでした。

夫と猫だけの家ですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ざくろとパパイヤ

20年目の結婚記念日を、磁器婚式というそうだ。

15年目は水晶婚式だったので、5年ぶりにあまり意味のよくわからない名称がついた結婚記念日を迎えた。それぞれの結婚記念日については詳しくはこちらをどうぞ。

https://www.meijikinenkan.gr.jp/party/plan/img/6eb36cf95c435cbb6176c2c32783bccafe048480.pdf

 

ぴらぴらのドレス着てなんでみんなの晒し者にならなきゃいけないんじゃ!しかも結婚式に何百万?!とひねくれた若造だった私は、結婚式なし希望、と夫側に伝えたが、せっかくの晴れ舞台なんだから…うちは長男だしやらないわけにいかないし…ともろもろの意見があり、ああそうですかと一旦持ち帰る形に。当時は、簡素な結婚というのはあまり一般的ではなく、結婚式といえば数百万かかるもの、というのが一般的だったと思う。

 

結婚式場で式や披露宴を行うのはどうしても気が進まなかった。あれにお金をかける意味がわからなかった。それなら新居で使う家具や電化製品、新婚旅行で使った方が現実的じゃないかと。

 

結局のところ、式と披露宴は家族とごく近い親せきのみ、友人らは食事会に招待という形に落ち着いた。披露宴は夫の父が仕事でよくつかうホテルを、そして友人との食事会は独身の時に2人で何度か行ったこじんまりとしたイタリア料理屋を貸し切りと決めた。問題は式をどこであげるか。都内の教会を色々探してみたが、信者でもないのに教会でしれっと式をあげるって都合良くないか?と思い始めてしまい、あーめんどう!とちゃぶ台をひっくり返したい心境になったところ、天啓が。あそこがあったよと。母校の構内に教会があり、卒業生はそこで神父様(教授)に式を執り行ってもらえると聞いたことを思い出した。

助かった。

安かった。

しかも値切ってしまった。

神父様が式に遅れてきたので。

あれが20年前の出来事で、私はまもなく50回目の誕生日を迎える。

これは現実か?

 

ほぼ同じ年で結婚20年目を迎えた私と夫だが、大きな違いがある。夫にはまだ生殖機能があり、私にはおそらくほぼ残されていない。夫が自分の血を残したいと思えば、まだまだ可能だ。あと10年後、20年後だってもしかしたらいけるかもしれない。少なくとも、健康で経済力があれば決して不可能ではない。老いて子を持つにはいろいろな条件が必要だと思うが、少なくとも男には女のように切実なタイムリミットがない。その気になれば、いつだって作れる。熟年離婚して夫が若い女と結婚すれば、あっという間に父親になれるだろう。女はなんて残酷で不条理な人生を覚悟しなければならないんだろう。夫と同じ時間を過ごしてきて、この先に待っているのが、かたや親になれるかもしれない人生、かたやあらゆるたるみと戦う人生。たとえるなら、夫はつやつやした真っ赤な甘酸っぱい種がみっちりつまったざくろ、私はといえば、使い物にならないむだな黒い種をみっしりかかえるパパイヤ。ざくろもパパイヤも見た目はざらっとしてツヤもなくそれなりに年齢を感じさせるけれど、ぱかっと開くとこんなに違う。

ちょっとずるいと思うのは私だけか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さくらんぼ色の指先 - その後

前にブログに書いた近所のクリーニング屋さんのおばさんの近況がわかった。

おばさんについてはこちらをどうぞ。

さくらんぼ色の指先 - 子どもは産んでいませんが。

 

病気でも、最悪の結末でもなく、退職されたそうです。クリーニング屋さんに行って聞いたところ、「もう歳なんでね、80過ぎてるんですよ。定年で退職しました。ああ、元気でやってますよ。ありがとうございます」

ということでした。

 

よかったよかった、長い間お疲れ様でした、もうおばさんに会えないんだなぁ、そんな気持ちが次々に浮かんできてその後は言葉が出ませんでした。

 

80歳を過ぎるまで、不自由そうに背中を曲げながらレジを打ち、洋服にタグ付けをし、衣類の受け渡しをコツコツとこなしていたんだなと思うと、なかなか過酷な人生だなと勝手ながら思います。私もその年齢まで働くことになるのかな。

 

でも、80歳過ぎるまで現役で働けたことは、これまた勝手な言い草になりますが、幸せな側面もあると思います。病気を患ったとしたら、通う場所は職場ではなく、病院だったかもしれない。毎日病院の天井を見ながら、いつになったら退院できるんだろう...とベッドの上でため息をついてたかもしれない。そう考えると、働くお年寄りは同情すべきものではなく、幸せの象徴ともいえるのかもしれない。自分の足で立って歩いて、ひとりでトイレに行けて、ひとりでご飯を食べることができるってすごいことだと思います。おばさんにはこれからもずっと、すごいことを続けていってほしい。

1日でも長く。

 

 

 

 

 

助けて、ハッピーターン

今日の午後、突然心をわしづかみされ、ぐらぐら揺さぶられるような出来事がありました。

図書館の雑誌コーナーでバックナンバーを探そうと、雑誌が積み重なっている本棚の下段をかがんで覗き込んでいたときです。遠くに子どもがいるなと目の端でなんとなく捉えていたのですが、その子が、「ママー」と言いながらすぐ隣にやってきたのです。かがんでいたので、女の子の目線の高さに私の顔があり、一瞬ばちっと視線が合ったのち、「ママいない」と呟いてどこかへ行ってしまいました。

ほんの一瞬のことでしたが、やわらかくて温もりのある女の子の空気をすぐ隣りに感じました。あぁ優しくてあったかい、そう感じた途端、目の前がぐらぐら揺れて、ちょっとの間動けませんでした。正確には、心が激しく揺れていました。ママって呼ばれるのってこんな感じなんだ。

ママ。

ママかぁ....。

 

私がママにはなれなかったあんな理由やこんな理由が次から次へと押し寄せてきて、さらには、一体なぜそうなったのかそもそもの原因や後悔やらもドサクサにまぎれて湧き出てして、収拾がつかない状態に。とにかく一刻も早くここから去らねばということはわかっていたので、そそくさと図書館を後にし、歩きながらもろもろの気持ちにピシャッと蓋をして、ひとこと。

「助けて、ハッピーターン」。

昔、職場で同僚に言われたんです。「ハッピーターンあげるから元気出して」と。それ以来、食べてなんとかなりそうな時は、とりあえずハッピーターン。そう決めています。

家に帰り、ハッピーターンをごしゃごしゃ力強く噛み締めながら、Hulu で『絶対に笑ってはいけない警察24時』を観ながらガハガハ笑って、今回は事なきを得ました。あやうく、あの時にあふれ出た気持ちによって引き回しの刑に処せられるところだった。

危機一髪の夏の午後でした。

おにぎりになれなかった人生ゲーム

意味不明なタイトルですよね。

説明します。

なんてことはない話しなんです。

 

子どものころ大好きだったけど今はできれば避けたいもの。私にとってのそれは「人生ゲーム」です。ルーレットを回し、自動車型のコマを進めながら人生のさまざまなイベントを経験するというあのボードゲームです。

 

それはそれは楽しいゲームでした。

当時、友だちと夢中で遊びました。

お金持ちになったり、結婚や出産で家族が増えたりと、まだ体験していないけれどもしかしたら実現するかもしれない未来に、いつもわくわくしていました。

なんて無知で単純で幸せな人生だったんだろう。

 

私の人生、確実に人生ゲームの半分以上が過ぎました。今さら結婚しました!や、女の子が産まれました!を追体験するのはしんどい。たとえゲームでも。

だって子供いないし。

結婚だっていいことばかりじゃないし。

お金持ちになるのも無理だな。

それならこれから起きるであろう未来は?というと、老いとか介護とか別れとか、何色の人生これ?と悲しみを超えて自虐的になりそうなものがてんこ盛り、確実に見える。

なんとも生々しい。

この生々しさを見て見ぬ振りしながら、架空の人生を楽しむ遊び心というか、余裕がもてない年齢になってしまった。現実の人生ゲームでもうお腹いっぱいです。

 

私にとっての人生ゲームは、子どものころ好きだったけど大人になって苦手になったもの。そしてタイトルに出てくるおにぎりは、私にとって子どものころも好きでいまでも大好きなものの代表選手。人生ゲームは、私にとっておにぎりになれなかったもの。というなんてことのない話しでした。

 

※人生ゲームに関する記述は、発売当時の商品に基づいています。現在販売されている商品とは異なるかもしれませんので、興味のある方はぜひ実際の人生ゲームをお楽しみください。

 

さくらんぼ色の指先

家の近所に小さなクリーニング店がある。

この家に住み始めて20年経つが、おそらくそのずっと前からそこに存在していると思う。そのクリーニング店に行くといつもおばちゃんが、はいはいーと言いながら、プレスやらクリーニング済みの洋服を袋詰めしている作業部屋から出てきて対応してくれる。当時60代だったのではないかと思う。見た目の年齢の割には背中がずいぶん辛そうに曲がっていて、指先も第一関節からすこし曲がっていたので、病気を患っているのかなと思っていた。指先の鮮やかなネイルと、いつもきちんとお化粧をしてお客さんに対応していたのが印象的だった。

 

最初の頃は頻繁に通っていた。

ある時、特急仕上げで依頼したクリーニングを、仕事の都合で数ヶ月引き取りに行けなかったことがあった。早く引き取りに来てもらわないとこっちも保管に困りますからね、と当然ながらちくっと言われた。またある時は、久しぶりにお店に来た私がぶくーっと膨れていたので、あらずいぶん太った?と直球勝負をしかけられたこともあった。他にも細々としたことがあり、こちらの精神状態によっては、よけきれないことが増えていったので、いちいち面倒だなと思うようになった。今よりもずっとナイーブで太っちょで若輩者の私だった。

 

そんなこんなで、他のクリーニング店に通ったり、宅配サービスのクリーニング店を利用するなどして、おばちゃんのクリーニング店から足が遠のくようになった。スーツ必須の会社から、ビジネスカジュアルOK、または何でもオッケーな会社へと渡り歩いていたこともあり、クリーニングが不要になったこともその理由だった。

 

客が心変わりしても、おばちゃんはずっとそのクリーニング店の第一線で活躍していた。お店の前を通った時にちらっと見ると、いつも忙しそうにレジを打ったり、預かった洋服にタグを付けたりしていた。

 

先日、数年ぶりに冬物のコートをおばちゃんのお店に持って行ったのだけれど、おばちゃんは、かさっと乾いた印象になっていた。前と同じようにきちんとお化粧をして爪もお手入れされていたけれど、体全体をおおう跳ね返るようなぷるんとした活力がだいぶ減ったような気がした。背中も一段と曲がって、だいぶ小さなおばあちゃんになっていた。それ以来、おばちゃんが気になって通るたびにお店をちらっと見るが、おばちゃんを見かけることはなくなった。夏だし、忙しいのかな、そう思いつつもなんとなく不安だった。ある時、お店の前を通りかかると、営業時間が朝9時から10時に変更になり、年中無休だったお店が週一でお店を閉めるようになった。おばちゃんの具合が悪いんだとすぐに思った。毎朝6時30分頃にはお店に出勤していて、準備をしているのを知っていたから。今週末こそお店に行っておばちゃんが無事かどうか確かめてみよう。ずいぶんしっかりマニキュアを塗っているなぁといつも赤い指先を見ながら思っていたけれど、いまも指先はさくらんぼ色に染まっているだろうか。

気になる。