子どもは産んでいませんが。

結婚後20年、子なし、今後も子なし決定。子どもを産まなかった自分を憎まずに生きるのは難しいと思う今日この頃。

ざくろとパパイヤ

20年目の結婚記念日を、磁器婚式というそうだ。

15年目は水晶婚式だったので、5年ぶりにあまり意味のよくわからない名称がついた結婚記念日を迎えた。それぞれの結婚記念日については詳しくはこちらをどうぞ。

https://www.meijikinenkan.gr.jp/party/plan/img/6eb36cf95c435cbb6176c2c32783bccafe048480.pdf

 

ぴらぴらのドレス着てなんでみんなの晒し者にならなきゃいけないんじゃ!しかも結婚式に何百万?!とひねくれた若造だった私は、結婚式なし希望、と夫側に伝えたが、せっかくの晴れ舞台なんだから…うちは長男だしやらないわけにいかないし…ともろもろの意見があり、ああそうですかと一旦持ち帰る形に。当時は、簡素な結婚というのはあまり一般的ではなく、結婚式といえば数百万かかるもの、というのが一般的だったと思う。

 

結婚式場で式や披露宴を行うのはどうしても気が進まなかった。あれにお金をかける意味がわからなかった。それなら新居で使う家具や電化製品、新婚旅行で使った方が現実的じゃないかと。

 

結局のところ、式と披露宴は家族とごく近い親せきのみ、友人らは食事会に招待という形に落ち着いた。披露宴は夫の父が仕事でよくつかうホテルを、そして友人との食事会は独身の時に2人で何度か行ったこじんまりとしたイタリア料理屋を貸し切りと決めた。問題は式をどこであげるか。都内の教会を色々探してみたが、信者でもないのに教会でしれっと式をあげるって都合良くないか?と思い始めてしまい、あーめんどう!とちゃぶ台をひっくり返したい心境になったところ、天啓が。あそこがあったよと。母校の構内に教会があり、卒業生はそこで神父様(教授)に式を執り行ってもらえると聞いたことを思い出した。

助かった。

安かった。

しかも値切ってしまった。

神父様が式に遅れてきたので。

あれが20年前の出来事で、私はまもなく50回目の誕生日を迎える。

これは現実か?

 

ほぼ同じ年で結婚20年目を迎えた私と夫だが、大きな違いがある。夫にはまだ生殖機能があり、私にはおそらくほぼ残されていない。夫が自分の血を残したいと思えば、まだまだ可能だ。あと10年後、20年後だってもしかしたらいけるかもしれない。少なくとも、健康で経済力があれば決して不可能ではない。老いて子を持つにはいろいろな条件が必要だと思うが、少なくとも男には女のように切実なタイムリミットがない。その気になれば、いつだって作れる。熟年離婚して夫が若い女と結婚すれば、あっという間に父親になれるだろう。女はなんて残酷で不条理な人生を覚悟しなければならないんだろう。夫と同じ時間を過ごしてきて、この先に待っているのが、かたや親になれるかもしれない人生、かたやあらゆるたるみと戦う人生。たとえるなら、夫はつやつやした真っ赤な甘酸っぱい種がみっちりつまったざくろ、私はといえば、使い物にならないむだな黒い種をみっしりかかえるパパイヤ。ざくろもパパイヤも見た目はざらっとしてツヤもなくそれなりに年齢を感じさせるけれど、ぱかっと開くとこんなに違う。

ちょっとずるいと思うのは私だけか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さくらんぼ色の指先 - その後

前にブログに書いた近所のクリーニング屋さんのおばさんの近況がわかった。

おばさんについてはこちらをどうぞ。

さくらんぼ色の指先 - 子どもは産んでいませんが。

 

病気でも、最悪の結末でもなく、退職されたそうです。クリーニング屋さんに行って聞いたところ、「もう歳なんでね、80過ぎてるんですよ。定年で退職しました。ああ、元気でやってますよ。ありがとうございます」

ということでした。

 

よかったよかった、長い間お疲れ様でした、もうおばさんに会えないんだなぁ、そんな気持ちが次々に浮かんできてその後は言葉が出ませんでした。

 

80歳を過ぎるまで、不自由そうに背中を曲げながらレジを打ち、洋服にタグ付けをし、衣類の受け渡しをコツコツとこなしていたんだなと思うと、なかなか過酷な人生だなと勝手ながら思います。私もその年齢まで働くことになるのかな。

 

でも、80歳過ぎるまで現役で働けたことは、これまた勝手な言い草になりますが、幸せな側面もあると思います。病気を患ったとしたら、通う場所は職場ではなく、病院だったかもしれない。毎日病院の天井を見ながら、いつになったら退院できるんだろう...とベッドの上でため息をついてたかもしれない。そう考えると、働くお年寄りは同情すべきものではなく、幸せの象徴ともいえるのかもしれない。自分の足で立って歩いて、ひとりでトイレに行けて、ひとりでご飯を食べることができるってすごいことだと思います。おばさんにはこれからもずっと、すごいことを続けていってほしい。

1日でも長く。

 

 

 

 

 

助けて、ハッピーターン

今日の午後、突然心をわしづかみされ、ぐらぐら揺さぶられるような出来事がありました。

図書館の雑誌コーナーでバックナンバーを探そうと、雑誌が積み重なっている本棚の下段をかがんで覗き込んでいたときです。遠くに子どもがいるなと目の端でなんとなく捉えていたのですが、その子が、「ママー」と言いながらすぐ隣にやってきたのです。かがんでいたので、女の子の目線の高さに私の顔があり、一瞬ばちっと視線が合ったのち、「ママいない」と呟いてどこかへ行ってしまいました。

ほんの一瞬のことでしたが、やわらかくて温もりのある女の子の空気をすぐ隣りに感じました。あぁ優しくてあったかい、そう感じた途端、目の前がぐらぐら揺れて、ちょっとの間動けませんでした。正確には、心が激しく揺れていました。ママって呼ばれるのってこんな感じなんだ。

ママ。

ママかぁ....。

 

私がママにはなれなかったあんな理由やこんな理由が次から次へと押し寄せてきて、さらには、一体なぜそうなったのかそもそもの原因や後悔やらもドサクサにまぎれて湧き出てして、収拾がつかない状態に。とにかく一刻も早くここから去らねばということはわかっていたので、そそくさと図書館を後にし、歩きながらもろもろの気持ちにピシャッと蓋をして、ひとこと。

「助けて、ハッピーターン」。

昔、職場で同僚に言われたんです。「ハッピーターンあげるから元気出して」と。それ以来、食べてなんとかなりそうな時は、とりあえずハッピーターン。そう決めています。

家に帰り、ハッピーターンをごしゃごしゃ力強く噛み締めながら、Hulu で『絶対に笑ってはいけない警察24時』を観ながらガハガハ笑って、今回は事なきを得ました。あやうく、あの時にあふれ出た気持ちによって引き回しの刑に処せられるところだった。

危機一髪の夏の午後でした。

おにぎりになれなかった人生ゲーム

意味不明なタイトルですよね。

説明します。

なんてことはない話しなんです。

 

子どものころ大好きだったけど今はできれば避けたいもの。私にとってのそれは「人生ゲーム」です。ルーレットを回し、自動車型のコマを進めながら人生のさまざまなイベントを経験するというあのボードゲームです。

 

それはそれは楽しいゲームでした。

当時、友だちと夢中で遊びました。

お金持ちになったり、結婚や出産で家族が増えたりと、まだ体験していないけれどもしかしたら実現するかもしれない未来に、いつもわくわくしていました。

なんて無知で単純で幸せな人生だったんだろう。

 

私の人生、確実に人生ゲームの半分以上が過ぎました。今さら結婚しました!や、女の子が産まれました!を追体験するのはしんどい。たとえゲームでも。

だって子供いないし。

結婚だっていいことばかりじゃないし。

お金持ちになるのも無理だな。

それならこれから起きるであろう未来は?というと、老いとか介護とか別れとか、何色の人生これ?と悲しみを超えて自虐的になりそうなものがてんこ盛り、確実に見える。

なんとも生々しい。

この生々しさを見て見ぬ振りしながら、架空の人生を楽しむ遊び心というか、余裕がもてない年齢になってしまった。現実の人生ゲームでもうお腹いっぱいです。

 

私にとっての人生ゲームは、子どものころ好きだったけど大人になって苦手になったもの。そしてタイトルに出てくるおにぎりは、私にとって子どものころも好きでいまでも大好きなものの代表選手。人生ゲームは、私にとっておにぎりになれなかったもの。というなんてことのない話しでした。

 

※人生ゲームに関する記述は、発売当時の商品に基づいています。現在販売されている商品とは異なるかもしれませんので、興味のある方はぜひ実際の人生ゲームをお楽しみください。

 

さくらんぼ色の指先

家の近所に小さなクリーニング店がある。

この家に住み始めて20年経つが、おそらくそのずっと前からそこに存在していると思う。そのクリーニング店に行くといつもおばちゃんが、はいはいーと言いながら、プレスやらクリーニング済みの洋服を袋詰めしている作業部屋から出てきて対応してくれる。当時60代だったのではないかと思う。見た目の年齢の割には背中がずいぶん辛そうに曲がっていて、指先も第一関節からすこし曲がっていたので、病気を患っているのかなと思っていた。指先の鮮やかなネイルと、いつもきちんとお化粧をしてお客さんに対応していたのが印象的だった。

 

最初の頃は頻繁に通っていた。

ある時、特急仕上げで依頼したクリーニングを、仕事の都合で数ヶ月引き取りに行けなかったことがあった。早く引き取りに来てもらわないとこっちも保管に困りますからね、と当然ながらちくっと言われた。またある時は、久しぶりにお店に来た私がぶくーっと膨れていたので、あらずいぶん太った?と直球勝負をしかけられたこともあった。他にも細々としたことがあり、こちらの精神状態によっては、よけきれないことが増えていったので、いちいち面倒だなと思うようになった。今よりもずっとナイーブで太っちょで若輩者の私だった。

 

そんなこんなで、他のクリーニング店に通ったり、宅配サービスのクリーニング店を利用するなどして、おばちゃんのクリーニング店から足が遠のくようになった。スーツ必須の会社から、ビジネスカジュアルOK、または何でもオッケーな会社へと渡り歩いていたこともあり、クリーニングが不要になったこともその理由だった。

 

客が心変わりしても、おばちゃんはずっとそのクリーニング店の第一線で活躍していた。お店の前を通った時にちらっと見ると、いつも忙しそうにレジを打ったり、預かった洋服にタグを付けたりしていた。

 

先日、数年ぶりに冬物のコートをおばちゃんのお店に持って行ったのだけれど、おばちゃんは、かさっと乾いた印象になっていた。前と同じようにきちんとお化粧をして爪もお手入れされていたけれど、体全体をおおう跳ね返るようなぷるんとした活力がだいぶ減ったような気がした。背中も一段と曲がって、だいぶ小さなおばあちゃんになっていた。それ以来、おばちゃんが気になって通るたびにお店をちらっと見るが、おばちゃんを見かけることはなくなった。夏だし、忙しいのかな、そう思いつつもなんとなく不安だった。ある時、お店の前を通りかかると、営業時間が朝9時から10時に変更になり、年中無休だったお店が週一でお店を閉めるようになった。おばちゃんの具合が悪いんだとすぐに思った。毎朝6時30分頃にはお店に出勤していて、準備をしているのを知っていたから。今週末こそお店に行っておばちゃんが無事かどうか確かめてみよう。ずいぶんしっかりマニキュアを塗っているなぁといつも赤い指先を見ながら思っていたけれど、いまも指先はさくらんぼ色に染まっているだろうか。

気になる。

 

 

 

 

 

 

 

卵色のさみしさ

子どものころ卵アレルギーだっので、食べてみたいけど決して食べられないものがたくさんありました。ケーキ、カステラ、プリン、ホットケーキ...。淡い卵色の食べものに、当時は恋していました。中でも卵かけご飯は、なんとしてでも食べたい、食べられないけど、でも食べたい、といつも葛藤していました。

 

というのも、看護婦だった母が夜勤明けで家に帰ってきて食べるのが、卵かけご飯だったのです。疲れて何も買って帰る気力もなければ、作る気力もなく、唯一の選択肢だったのかもしれません。ほかほかご飯の上にぱかっと卵を割り、醤油をたらしてシャカシャカかき混ぜ、つるつるつると食べる母の姿をいつもうらやましくみていました。卵ってどんな味なんだろう。憧れを通り過ぎて、当時は卵に執着していたんだと思います。

 

そんな当時のことを、この本を読み直してふと思い出しました。

 

 

怖れや怒り、悲しみなどで心がブロックされた状態のさまざまな人が登場し、どのように心が解放されていくのかそのプロセスを説明する箇所があるのですが、執着を手放すナオミさんのエピソードが印象的でした。

 

失恋したナオミさんは一年経っても別れた彼のことが忘れられず落ち込む毎日でカウンセラーを訪ねました。それにより、落ち込みの原因は失恋で彼を失ったことだけではなく、彼がいることで自分が肯定的に受け止められていたという感覚、認められていたという感覚も失ったからだと気づきました。さらに、昔から誰かの承認を求めることに執着していたとナオミさんは思い至るのでした。

 

私が卵に、特に、卵かけご飯に執着していたのは、食べたいという欲求以上に、母が美味しそうに食べている卵かけご飯を、母と一緒に食べたい。さらには、看護婦として忙しく働く母ともっと一緒にいたいというさみしさから、卵かけごはんに執着していたのかなと本を読んで思い返しました。

 

 

 

 

 

 

枯れたカステラ色のドレス

映画を観ていて、はじめて自分にツッコミを入れてしまいました。

ウィル・スミス主演の『7つの贈り物』をネイルサロンで観ていたときのことです。

さくっとネタバレが含まれますのでご注意ください。

 

7つの贈り物 (字幕版)
 

 

重い心臓病を患うエミリーという女性が、「もしドナーが現れて健康な心臓を授かったら何がしたいかなぁ〜」と、主人公のウィル・スミスに無邪気に語りはじめるシーンがあるのですが、何を彼女がしたいかというと...

-  宇宙に行く

- 思いっきり走る

- プールで泳ぐ

- 肝試しをする

- 恋をする

... という感じだったんです。もっとありましたが忘れてしまいました。

衝撃的すぎて。

その内容ではなく、どれも私なら今すぐにできることばかりだったから。

ここで自分に突っ込んだわけです。

「あんた、全部できるよ」と。

「宇宙に行く以外だけどね」と。

 

誰しもいろいろな制約の中で生きているわけですが、少なくともエミリーがしたいことに関しては、する選択も、しない選択も私はできるんだということに衝撃を受けたわけです。なんて贅沢な人生だと。こんな人生だけど。

したくてもできない人がいて、できるのにしない人がいて、人生は気まぐれで不条理です。ちなみに、「プールで泳ぐ」以降はうろ覚えで今この場で創作しました(すみません)。ガツンときた衝撃で吹っ飛んでしまいました。

 

映画の中で、ドレスアップしたエミリーがウィル・スミスに手料理を振る舞うシーンがあるのですが、そのドレスが肌と髪の色によく似合ってとても素敵でした。卵黄たっぷり濃厚バニラアイス色というか、枯れたカステラ色というか、はっきり言えば黄土色。素敵なドレスにあんまりな名前もなんなので、調べてみたところ、ヤマモモ色が近そうです。